日に焼けた本は水色になる
少し前にツイッターでこんなツイートを見かけた。
なんで建築家の人たちは、図書館をガラス張りにしたがるのかなあ。日光で本が傷むというコトを、想像できないくらいアホなの?彼らにとっては「本なんてのは単なるインテリアの小道具」に過ぎないかも知れないけど、だったら「世界一美しい図書館」なんて名前を付けるのはヤメてくれい。 https://t.co/Dcm8djArJp
— 安達裕章 (@adachi_hiro) 2018年9月13日
とくに一図書館職員として意見があるわけではないが、本の日焼けというのは割と深刻な問題だ。
わたしの働く図書館はデザインが素晴らしいとかで建築界隈では多少有名だったらしく、その昔はよく建築科の学生が見学に来たりしていたらしい(ベテランおばさま職員が言っていた)。わたしはそれも建築家目線の話だな、と感じる。なぜならこの図書館の児童書コーナーの2門の棚、つまり子ども向けの地理歴史関係の本が並ぶ棚が全面水色だからである。
ご存知だろうか。本は何年も日光にさらされると有無を言わさず水色になる。仕組みはわたしもよく知らないが、なんでも赤や黄色のインクは紫外線に弱く退色しやすいのだそうだ。たしかに道で古い看板や注意書きなどを見ても、重要な部分を目立つように赤で書いたがためにその部分だけ退色してしまっているということは多い。せっかくの配慮もむなしく看板は道端に突如出現する野生の穴あき問題と化している。
こういうわけで生命力の強い青および黒のインクだけが日差しの中を生き残り、したがって南の窓際に位置する児童向けの地理歴史の棚は全面水色になるのである。水色の「世界地理」、水色の「日本の歴史」、水色の「キュリー夫人」。大量のプランクトンが集まってひとつの赤潮を作り出すように、棚に敷きつめられたたくさんの背表紙がひとつの大きな水色を作り出す。
それはなかなか美しい水色で、わたしは仕事の合間にその窓辺へ出向いてはこっそり深呼吸をする。息を吸い込むと、かすかに潮の香りがする。耳を澄ませば遠くからは波の音が聞こえる。一面に広がる青い海。見上げれば青空には太陽が燦々と輝き、その紫外線はわたしの心にこびりついた赤や黄色をきれいに洗い流してくれる。青一色になったわたしはたくさんの水色にやさしく包まれ、やがて溶け込んで大きな水色の一部になる。目を閉じて波のまにまにたゆたいながら、いつまでもこうして揺れていたい気持ちになる。ゆらゆら、ゆらゆら。
ゆらゆら。
ゆらゆらゆらゆら。
目を覚ますとわたしを揺り起こしたおばさま職員はすでに事務室を出ていて、わたしも昼休憩の余韻を振り払うようにいそいそと午後の仕事に取りかかる。