きざきの雑記

図書館と音大を往復する生活

My Nose is Running

風邪をひいた。

驚くほどどうでもいいかもしれないが、わたしは今日突然風邪をひいた。最近大学での練習がやたらと忙しく、睡眠時間も十分にとれず毎日辛い思いをしていたのだが、今日ついに風邪をひいた。初めは喉が痛くなり、次に鼻水が溢れ出し、さらに今は頭がぼーっとしている。なかでも鼻水の勢いがものすごい。

 

アンサンブルの合わせの最中に鼻水が止まらなくなり、練習室に備え付けられたトイレットペーパーでその場はしのいだがその後も鼻水はとめどなく溢れ続け、いてもたってもいられなくなったわたしは最寄りのコンビニへ走った。店に入ると脇目も振らず水に流せるポケットティッシュ6パック入り(定価94円)を手にとったが、毎回数秒のうちに6パック使い切ることを思い出し箱のスコッティに変更した。箱ティッシュをひとつ買うのは少し恥ずかしかったので上にカレーパンを乗せてレジへ持っていったが、余計ばかっぽくなってしまった。ともかく会計をすませ、カレーパンは温めてもらってイートインスペースで小腹に押し込み、颯爽とコンビニを後にした。

 

ティッシュというのは、くだらない恥さえ捨てれば極めて便利である。なにしろ瞬時に片手で1枚のティッシュペーパーを引き抜くことができる。これはたまらない。この快感を味わってしまうと、もう二度とポケットティッシュには戻れなくなる。その後のレッスンにもスコッティを連れていき、先生の前で堂々と鼻をかんだ。かみたいときに自由に鼻をかめることが嬉しかった。

 

それ以来、わたしはどこに行くにもスコッティと一緒だった。練習室、トイレ、食堂。わたしがスコッティを呼べば、彼は白いたてがみをヒラヒラ揺らして応えてくれた。わたしはそのたてがみを1枚そっと抜き取り、いつでも気ままに鼻をかむことができた。わたしはスコッティを信頼していたし、スコッティもまたわたしによくなついていた。

 

ある日スコッティの様子がおかしかった。いつものような爽やかさがない。わたしは彼のトレードマークであるたてがみが見当たらないことに気づき、駆け寄って背中の穴に手を差し込んだ。ない。無限に存在するかに思えたたてがみが底を尽きていた。わたしはそこではじめて、彼が自身の役目を全うしたことに気がついた。わたしは悲しみをこらえつつ丁寧に彼を折りたたみ、紙ゴミとして葬った。

 

ティッシュを携帯することで束の間の快感を手に入れウキウキで妄想を膨らませていたわたしだが、そうしている間にも刻一刻と鼻水は垂れ下がってくる。帰りの電車では、箱ティッシュとゴミ袋を縦に平行に入れたリュックサックを脚に挟み、ティッシュを抜き取っては鼻を経由してゴミ袋に捨てるという巧みなキャッチアンドリリースにひたすら勤しんだ。向かいの座席ではわたしの美技に魅せられた女性がこちらをうっとりと見つめていた。

 

それにしても鼻水がとまらない。今日かんだ分だけでもざっと2リットルくらいはありそうだ。いったい顔のどこにこれほどの量の鼻水を貯蔵する空間があるというのか。そう思った瞬間、かすかな不安が胸をよぎった。ひょっとして、鼻水って実は脳みそなんじゃなかろうか。

 

そういえばさっきから頭がぼーっとしているし、本を読むのに疲れてツイッターを見はじめたりもした。オンラインオセロにも全然勝てなかった。脳みそが減っていると考えると全てつじつまが合う。なるほど、漫画などでおバカなキャラクターが決まって鼻水を垂らしていることにも説明がつく。あれは実は脳みそで、始終鼻から脳みそを垂らしているからバカなのだ。

 

本当に鼻水が脳みそだったらどうしよう。今までに勉強したことは全て脳に保存されているのだ。この20年間が水の泡になりかねない。それに、鼻から出た分の脳みそはちゃんとあとから生成されるだろうか。減ったままではバカになる一方だ。わたしが不安を膨らませる間にも鼻から出た脳みそはティッシュペーパーにくるまれ、みるみるうちにゴミ箱を満たしていく。