きざきの雑記

図書館と音大を往復する生活

電車で腰までかがめた席に座られた

 

今日電車に乗ったとき、座ろうと腰まで屈めた席に座られた。

それはそれは見事なスライディングであった。

 

当然自分が座るつもりで腰をかがめたものだから、突如滑り込んできたその人の太ももにほんの一瞬尻が触れた。

 

西武線のフカフカのシートの感触を予想しつつ腰を下ろす。思ったよりも高い位置にシートがある。いや、シートではない。太ももだ。

 

ひゃんっ

 

そう叫んでいたかもしれない。

瞬時に飛び退いて後ろを振り向くと、さらに衝撃を受けた。座っていたのはおじさんではなくおばさん、中年女性だったのだ。女性は後ろめたそうな、しかし後悔はないといった表情でわたしの足元を見つめていた。

 

わたしはしばらく言葉を失いその場に立ち尽くした。驚き、憤り、呆れ、恐怖、尊敬、様々な感情が渦巻いた。まだ状況を理解できていない自分もいる。

一番の感情は、そこまでして座りたいか? というものだった。

 

 

私が乗った西武新宿という駅では帰宅ラッシュの時間に合わせて「整列乗車」なるものを行っている。

終点なので、ホームに電車が来るとまず乗客を全員降ろす。全員の降車を確認し、その後一旦ドアが閉まる。そのタイミングで電車に乗ろうと整列していた人たちが1歩進み、ドアが開くのを待ち受ける。ドアが開けばあとは席取り合戦である。

 

それは分かっていた。

毎日毎日醜い争いが行われていることをわたしは知っていた。だからこそ、自分だけは美しくあろうと車内に駆け込むことをしなかった。

 

空いてるなら、座ってもいいけど。

 

そんなスタンス。しかしこの態度が反感を買ったのだろう。わたしがひとつ残ったその席に優雅に座ることを、彼女は許さなかった。

 

人目を気にせず、体裁を気にせず、己の本能にしたがうこと。ときには人を不愉快にさせても、感情に忠実に生きること。

都市生活における真理を、彼女の虚ろな瞳は語っていた。

 

 

東京の本社への配属が決まり、幼い頃から夢見ていた都会での生活がついに実現することに並々ならぬ期待を抱いていたのが今年の3月。

年度が変わり新しい仕事環境にも慣れてきた彼女だったが、しだいにあまりにも無機質な都市生活に疑問を抱き始める。東京の冷たさは話に聞いていたが、さすがにこれほどとは思っていなかった。

 

人々はそれぞれの生活にしがみつくのがやっとで、他人の苦労には見向きもしない。

腰を曲げたおばあさんを目の前にして大股開いてスマホをいじる若者。赤ちゃんの泣き声に露骨にため息をつくサラリーマン。ラッシュアワーには怒声が飛び交い、傘の忘れ物は後を絶たない。

 

やがて彼女は悟った。

都会の生活に正しさなど必要ないことを。そのときどきの感情に身を任せればそれでいいのだということを。

自分が疲れているなら座ればいいじゃないか。人が今まさに腰を下ろしかけているその席に、スライディングでもなんでもして座ればいいのだ。彼女は人間として当然の躊躇いを、自らの意志で押し切った。

 

 

一閃。

気がつけば自分は座席に座り、目の前に唖然と立ちすくむ男子大学生の姿がある。

 

ついにやった。人を押しのけて自分が座ったのだ。人間として大切なものを失うかわりに、これまでにない快適な生活を手に入れたのだ。まさに感情が理性に打ち勝った瞬間だった。

 

生まれ変わったような爽快感とくすぐったいようなきまりの悪さに包まれて、しかし彼女の目に後悔はなかった。

 

 

勝手に経緯を想像してみたが、まったく納得いかない。スライディングすな。